こんにちは、あまねです。
今、天皇陛下の長女、敬宮愛子内親王を皇太子(次の天皇)にすべきと考える国民が9割に上るということです。しかし、なぜ愛子さまは天皇の唯一のお子様なのに皇太子になれないのか、知っている人は実は少ないようです。ほとんどの人は、「男女平等」などの一般的な概念や、愛子さまに直接会ったこともない人々が個人の資質などを勝手に判断して「いいじゃない、愛子さまでも」などと言っているようなのです。
現在の皇室の事を決めた法律、皇室典範では、天皇の直系の長子の男子に限ることになっています。
愛子さまは女性なので天皇、皇太子にはなれませんし、もし愛子さまに弟がいたとしたらその子が皇太子です。女性皇族は未婚だけで、結婚したら皇族ではなくなります。
女性が天皇になれなくなったのは明治から
日本の皇室は世界一古い万世一系で、王室や皇室の無いアメリカ合衆国はもちろん、歴史の古い王室を持つ欧州の各国からも一目置かれる存在です。つまり、父が天皇という男系の血縁による継承こそは皇室の価値であり、皇后となる人も皇族につながる公家の家柄などから選ばれていました。側室やお仕えする女官も庶民ではありません。母の身分が比較的低い場合、大正天皇のように皇后の養子となって育てられました。
女性の天皇はいなかったわけではない
皇太子(東宮)と決められるのは男子だけでしたが、ちょうどいい親王がいない場合などに皇太子でなくても女性が天皇になることはありました。実際は直近の男性天皇の未亡人(皇后)であるか、皇統を継承する予定の男性皇族の近親の内親王です。令和まで126代の天皇がいますが、そのうち女性は8人(10代)存在します。良く知られているのは、推古天皇(聖徳太子のおば)、百人一首にもいる持統天皇などでしょうか。ただ、これらの女性天皇は、皇后の実父が皇族かつ生涯未婚か、崩御した天皇の未亡人でした。
「光る君へ」を見てもわかるように、明治以前の皇室は制度が違う
「光る君へ」では、花山天皇が藤原兼家の策略で出家させられ退位することになったり、わずか6歳の一条天皇が即位したりしています。このころは崩御=代替わりではなく、天皇が自ら譲位もできましたし、花山天皇のように騙されたり、統治が嫌になったり、色々な理由で天皇を皇太子(東宮)に譲ることが可能でした。
明治維新によって、天皇は終身制になった
(平成では天皇の意志が通って特別に法律を制定し生前に退位したため、令和には上皇陛下がいます)
明治維新が起きて、国家の体制が大きく変わりました。大日本帝国憲法が制定され、天皇は日本国家の頂点に、その下に政府があり、天皇は軍隊の長でもあります。
天皇は京都の御所から東京にうつられ、天皇を取り巻いていた公卿らは華族になって上京しました。
皇位継承について、争いの元となるためか譲位は廃止となり、男系男子と決められました。また、「源氏物語」の光源氏のように皇族男子が臣籍降下することは、禁じられました。
当時は皇后だけではなく、側室もいたため、男子はそれなりに生まれました。ただ、医学が未発達で寿命も短く、男子は生まれてもなかなか成人できなかったようです。
明治天皇も大正天皇もやっと育った側室の子で、昭和天皇は皇后の実子です。
大日本帝国憲法は、「虎に翼」で描かれているように女性の権利はあまりなく、従来からあった皇后、側室、女官などの身分の違いは厳格で、天皇は軍人でもあるため、女性が天皇になるなどは言語道断でした。天皇も皇后も、皇太子を産み育てることは絶対的使命があったのです。
敗戦で日本国憲法ができて変わったことと変わらなかったこと
天皇について大きく変わったのは、政治に関する権限が無くなったことです。また、軍隊の長でもなく、軍そのものが解体されました。天皇は「国民の象徴」になったのです。
つまり、天皇の存在自体は大きく変わったことになります。また、皇族の範囲についても縮小され、廃止された皇族が「旧宮家」と呼ばれている方々です。
ただ、天皇の後継者については変わっていません。側室制度はなくなりましたので、こどもは必ず皇后が産まなくてはなりません。戦前、昭和天皇と良子皇后の間にはなかなか男子が産まれませんでしたが、昭和天皇は側室を持つことはせず、5番目に今の上皇さま(継宮明仁親王)、続いて常陸宮様(義宮正仁親王)が産まれました。
日本国憲法ができたころには皇太子がいて、次代は決まっていました
昭和天皇は戦争のただなかの天皇で、途中から「人間宣言」をして象徴となりました。このころ既に皇太子明仁親王がいましたので、後継者の問題はとりあえずありませんでした。しかし、その後皇太子の配偶者に選ばれたのは皇室や華族とは関係ない、民間人の美智子さまでした。
天皇が国民と同じような存在でありながら、決して同じではいけないところに今の諸問題が起こっています。
天皇の子どもは男女問わず皇太子になれると皇室典範を変えれば、制度上は愛子さまも皇太子になれるかもしれません。しかし、今までの女性天皇の例にならうと、愛子さまはご結婚もできないことになります。先例によらないとしても、愛子さまの夫君が皇族でない限り、愛子さまの産んだお子様は父が皇族ではない女系のお子様となります。女系の子が天皇になったことはないのです。
一般国民と同じような思考、または男女平等という考え方の物差しだけでは解決できない、それが皇室制度の問題です。
次回は近代皇室のことが学べるスポットをご紹介します!
コメント