本日3月2日は 「スーツを仕立てる日」
2018年(平成30年)に株式会社FABRIC TOKYOが申請し、一般社団法人・日本記念日協会に認定・登録されました。まだ新しい記念日です。
ところで、来年卒業を迎える予定の大学生は既に4人に一人、内々定を得ているということです。
今からリクルートスーツを仕立てていては間に合いそうにないですね・・・
まだ4年生になってもいないのに、もう卒業後の行き先が決まっているとは、安心なような不安なような気がしませんか?内定を出す時期が早すぎるという議論もあるようです。
まあ、まだ活動を続けてもっといい会社に決まったらそっちに行こうと思っている人はたくさんいるでしょう。頑張って、自分の選んだ道を進めるといいですね。
わたしは平成元年に新卒で就職し、社会人になりました。
当時の就活はネットもスマホも何もない。何ならパソコンもウインドウズもありません。
昭和末期の就職の形は、新卒の正社員として入社し、定年までお勤めするというのが普通の世の中。中途入社や若者の転職、契約社員も派遣も、当時は挫折を意味していました。女性が、結婚出産を想定して働き続ける前提で会社を選ぶことも、女子学生の多くは考えていない時代でした。
ある日リクルート社から、10センチほどの厚さの本とはがきの束が自宅に送られてきまして、それが会社案内と申込はがきなのです。はがきですから、ESのように詳しく書くのではなく、説明会の申込用紙のようなものです。
しかし説明会はほぼ一次試験のようなもので、インターンシップも言葉そのものさえなかったです。
内定を出す解禁日は8月20日と決まっていて、モテる学生(東大生とか)は一つの企業に「拘束」されるのが当たり前でした。モテる学生は複数の会社に内々定があるのですが、第一希望を20日までに決めて、そこに「拘束」されていなければいけないのです。
「拘束」といっても、監禁されたり、仕事をやらされるわけではなく、なんとディズニーランドで一日中遊んだり、ホテルでレクリエーションをしたり、といった楽しいことです。
当時はバブルで景気が良く、こういう経費までまるっと出るいい時代でした。
もちろん私は東大出ではないので、「拘束」待遇は受けてなく、やっと2社から内定を頂けたくらいです(笑)
でも、そんな時代も今も、会社が欲しい人材というのは本当は変わっていないような気がします。
もちろん学歴も無関係ではないですが、人柄が明るく、真面目で、人の言うことを素直に聞ける人。
自分の未熟さを認められる謙虚な人。
その会社でやりたいことを聞かれた時、自分の意見をきちんと言える人。
それはその時点での知識や考えで良く、内容よりロジックや理由が大事です。
こういうシンプルな事は、情報過多な今の就活でも、人まねをしてどうこうできるものではなく、人事部の人は、「何となく我が社に合う」「こういう人に来てほしい」かどうかが分かるのです。
私は自分が学生だった時にはそれが全く分かっていませんでしたが、会社で人事担当になり面接に同席したりするうちに、「自分の会社がこういう人を求めているんだ」と分かるようになりました。
そして、その時抱いた印象はその人が入社してからも変わりませんでした。
だから、逆に不採用になったら「この会社は自分と合わない」と思っていいんです。
就職は学校の入試とは違い、結婚に近い、「ご縁」なのです。
今はすぐ転職もできるし、中途採用や第二新卒も当たり前ではありますが、やっぱり初めて就職する職場はきちんと考えて決める、とにかく一生懸命やる!のが後々の人生に影響すると思います!
コメント