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近代皇室の歩みを学ぶ「聖徳記念絵画館」

皇室と日本

こんにちは、あまねです。梅雨の季節になり湿気も多い毎日ですね。
ヘアスタイルがうまくいかなくなったり、食中毒にも気を使う時期です。
体調を崩されないようお気を付けください。

先日、たまたま用事があり、近くにあった重要文化財を見に行きました。

明治神宮外苑「聖徳記念絵画館」です

ホームページの概要には次のような説明がありました。

明治天皇を中心に成し遂げられた、維新の大改革、その輝かしい時代の勇姿と歴史的光景を史実に基づいた厳密な考証の上で描かれた80枚の名画。
一流画家による優れた芸術作品であり、政治、文化、風俗の貴重な歴史資料でもあります。

起工(1919年)大正8年3月5日
竣功(1926年)大正15年10月22日
設計一般公募156点の1等小林正紹氏の原図を基に明治神宮造営局において修正しました。
構造鉄筋コンクリート造り、外壁は岡山県万成産花崗石、画室を除く壁面、中央大広間は、国産大理石と一部タイルを使用しています。
規模長さ東西112メートル
南北34メートル
高さ中央ドーム頂点 地上32.1メートル
両翼 地上16.7メートル

入場料は施設の維持協力金として500円、年末年始以外、原則毎週水曜は休館日です。

上の写真は私の撮ったものです。建物の前の広い部分が駐車場にされていて、この日は秩父宮ラグビー場での試合関係のバス、車でうまってました。
いつからこうなのか分かりませんが、本当はワシントンのリンカーンメモリアルのように手前の池とトータルに美しいはずなんですが、ちょっと興ざめな感じです。

ちなみに、関東大震災時は被災者を収容するバラックが建てられ、地震や戦争後は何度も著しい損傷を修復しながら、2011年に重要文化財に指定されています。

急な階段を上がり、そこは別世界の空気

明らかに上るのが急な、正面の石段を上がると、入り口があり、受付をします。
撮影は一切不可の看板がたっています。

壁画は、明治天皇のご生誕から崩御までの出来事を、「画題」の年代順に前半を日本画40枚、後半を洋画40枚で展示してあります。これらの絵画(壁画)はテーマをもって有名な画家たちに描かせたものなので、いわゆる名画を集めた美術館とはちょっと違います。
記録を絵画で展示しているという感じでしょうか。

西洋の美術館の建築様式で、石造りのひんやりした空気が静謐な空間を作っています。とても静かで落ち着くので、私の行った日は置いてある休憩用のベンチでスマホをみている茶髪の若い女性が、なぜか結構な数いました。別に迷惑をかけているわけではないので構いませんが、絵は見たのかな?って雰囲気でした。

壁画は一枚ずつ額に入っていて、壁に飾られていますが、額の前も一面ガラスの壁があり、一メートル程度の距離からガラス越しに見ることになります。説明書きもガラスの外にあります。

写真のようにリアルで、当時のことが分かる

絵画は、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の皇太子時代とそのお妃方のもの、西郷隆盛と勝海舟の話し合いの様子などのシーンです。ドラマで見たことあるような感じなのですが、それはドラマがこういう資料を参考にしているからですね。絵画はその様子を知っている人に聞いたりした様子を絵にしているのでしょう。

明治天皇は16歳で天皇となり、61歳で亡くなるまで明治時代だったわけですが、即位されたころはまだ成年ではなかったわけです。よく見る写真の明治天皇のお顔は眉毛が逆八の字で、威厳たっぷりで怖い感じですよね?
ここの絵画でも16歳ではおひげがないですけれど、眉毛や目は全く同じでした。写実的に描かれていることが分かります。成人されて勉強に励んでいるところ、日清・日露戦争の際に、戦地の寒さに耐える軍人たちのことを想い、自らも暖や食事をろくにとらずに指揮をする天皇などの絵がありました。

解説にそう書いてありましたが、天皇の近くに脚の長ーい火鉢がありました…火は入っていなかったのでしょう。

儀式の場面では、天皇皇后の周りに大勢の男性皇族(今の旧宮家の祖先)が並んでいて、令和とは大違いです。

明治からは、御所も変わり、正装は洋装に、皇族の普段の生活も変わりました。明治天皇や昭憲皇太后は率先して洋装し、食事などの生活習慣から、ダンスなどのマナーや西洋の教養も学んで諸国列強に負けないようにしなければなりません。大変だったでしょうね。

大正天皇の時代は短く、昭和天皇は皇太子の頃から摂政に

私たちも知る昭和天皇は、父上の大正天皇がご病気がちでしたので、若い頃から摂政として天皇の職務を担う時期がながく、即位されてからも64年の長きにわたりました。
絵画館では摂政をお勤めになる若き昭和天皇の閲兵式の様子なども見られます。

本館の展示を見た後は、明治天皇の愛馬のはく製なども見られる

お部屋の外の、廊下のような離れたところには、明治天皇が最も愛した金華山(きんかさん)というお馬さんのはく製がありました。

明治2年に宮城県玉造郡鬼首村で産まれ、体格は大きくなかったものの、骨格がよく、鋭敏でありながら落ち着いた馬だったそうです。

「陸軍の演習時に大砲の轟音にも怖がることなく、堂々としていました。明治13年から26年までご料馬としてご用をつとめ、27歳で老衰により亡くなりました」とありました。

確かに大きくはなく、脚は太目で、がっちりしています。色は薄い茶色で、競馬のサラブレッドとはかなり違いますが、馬は生き物ですから、明治天皇の意を察する賢い馬だったのでしょう。

一応平和な令和と違って、激動の時代の皇族と周りの人々の心を知ることができる

絵画館の反対側、銀杏並木

明治神宮外苑は、その名の通り、その辺り一帯、明治神宮です。かの有名な銀杏並木や、木々伐採のことで問題になっている国立競技場なども近く、見どころはいっぱいの地域です。

行ったことのない方は、ぜひ絵画館を訪れてみてください。「なんで令和の皇室ってこうなっちゃってるんだ?」って思うんじゃないでしょうか。私は思っています。

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