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【光る君へ】天皇制は今も続いている

ドラマ

こんにちは、あまねです。

4月14日放送の「光る君へ」はまひろ(紫式部:吉高由里子)の世界と、道長(柄本佑)の世界が描かれました。

まひろの周辺

まひろは、父藤原為時が新しい除目でも官職を得られておらず、変わらぬ困窮暮らし。

そのまひろを、ききょう(清少納言:ファーストサマーウイカ)が訪ねてきて、「中宮定子の女房として内裏に入る」と打ち明けます。微妙に自慢げな言い方もあり、まひろは内心落ち込みます。
ききょうは前から夫や子どもと別れて自分の力で生きることを宣言していました。まひろと共に呼ばれた漢詩の会で権力者藤原道隆の妻に請われて、宮中に上がれることになったのです。

まひろは「自分は一歩も進んでいない」と悩みます。ききょうと並ぶ教養を持ちながら、また自分より出来が悪いのに男ゆえ試験に受かれば社会で活躍できる弟と比べ、結婚もおつとめもできず家にいます。

このシーンはのちにまひろも、道長の娘で一条天皇の后となる、彰子の女房となって清少納言と同等になることを知っている私たちには、興味深いです。

道長の周辺

一方、道長は仕事に悩んでいました。長兄の道隆(井浦新)の身内びいきや独裁のまつりごとは度を増し、異母兄弟の藤原道綱(上地雄輔)は「だってー兄上(道隆)の指示だしー」という態度、次兄の道兼(玉置玲央)は、亡き父兼家に拒否されたことで自暴自棄になり、藤原公任(町田啓太)の家に転がり込む有様。

道兼を説得して立ち直らせ、道隆には公金の使い方を直訴しに行きますが、道隆は全く聞こうとしません。あげく、道隆の息子伊周(これちか:三浦翔平)と弓競(ゆみくらべ)をするはめに。

適当にあしらうつもりが、伊周に挑発されて、「願い事をしながら射る」ことになります。

「我が家から、帝が出る」

伊周は始めにこういうと矢を放ちますが、それまでより微妙に外れます。

次に、道長が同じ願いを口にして矢を放つと、ど真ん中に命中します。それまではわざと外していたのです。

この願い事の意味は、道隆の娘で時の帝の中宮、定子が皇子を産むことでかなえられます。

現時点で、若い帝と定子は仲は良いものの、子どもは生まれていません。

一方、道長はまだ娘を入内させてもいず、可能性は現在はゼロです。

しかし、その場の空気は凍りつきました。二度目の「我、関白になる」にいたっては伊周の矢が的外に行ってしまい、道長はそこで中断させられました。

史実では道隆亡き後、道長が伊周との争いに勝ち、娘も入内させて実権を手に入れます。

「我が家から帝」を今の皇室になぞらえると・・・

現在、皇族の数が減り、側室制度もない中、今上の内親王、愛子さまを女性天皇にしようという考え方があります。愛子さま自身は父が天皇なので、男系の血筋です。

愛子さまは、先日雅楽鑑賞されました

しかし、愛子さまが皇室典範の改正で女性天皇になることができたとしたら、配偶者が民間人だった場合、その子どもは女系となります。
また、今まで女性天皇は数人いますが、全員天皇になってから子をなした方はなく、両親ともに天皇家の血をひいていて、天皇と結婚していた人です。

なぜそのようなシステムなのか

それがまさに「我が家から帝」の争いや、妃の実家の専横を避けるためです。

時の帝の代わりに妃の家がまつりごとを行い、実権を握っていることで、既に世が乱れる可能性があります。妃の立場でもそうなのに、妃本人が天皇になったりしたら、皇統は以後その家のものになってしまいます。大混乱ですよね。

妃も何人もいる時代でしたし、近代の皇室典範と違い、天皇自身が跡継ぎの皇子を決めて譲位することが可能でした。天皇の寵愛する后になり、皇子を生み参らせることは、「自分の血筋の天皇」でこの世の権力を手に入れることなのです。

今は、天皇に政治的権力はなく、日本国憲法による「国民の象徴」ですが、血統は続いている

徳仁天皇が政治的権力や軍事力を持っていないとは言っても、「世界一古い天皇家の血筋」や「日本という国のアイデンティティを表す存在」はあり、それは世界的に日本が敬われる根拠となっています。

今上天皇の后の実家は「小和田家」です。小和田家は皇太子妃として雅子さまを入内させると、「準皇族」などと言って、内親王誕生のお見舞いに当時の天皇より先に行ったり、ディズニーランド貸し切り状態にご一緒したり、私的なオランダ静養をアテンドし自分たちも合流する、東宮御所をバリアフリーに改築させるなど、これまで結構な専横ぶりです。

先日も、上皇夫妻の結婚記念日に、もう4月になっているのに愛子さまの卒業・就職祝いと称して小和田一族が御所でパーティーをしたそうです。車で御所に入るところをマスコミに撮られています。

ドラマで道長が、道隆が中宮定子のために巨額の公金を使うことを懸念していましたが、今でもある意味同じことをしているのです。それなのに、秋篠宮家が本来の東宮御所に入れずに、宮内庁の采配で秩父宮邸などを大規模改修した費用が多額だと、宮家とその人々が非難されるのはおかしいです。

もし愛子さまが天皇になるようなことがあれば、天皇制の終わりの始まりです。女性差別だの、愛子さまが素晴らしいからなどということは、全く関係ないのです。

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