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【光る君へ】まひろが都に帰るまで

ドラマ

こんにちは、あまねです。

しばらくご無沙汰している間に、まひろは父の赴任について越前に行き、様々な経験をします。

越前:松原海岸

憧れていた宋の国の人々に会い、周明と知り合う

「宋では、身分に関係なく能力のあるものは取り立てられる」という話を宣孝に聞いていたまひろは、宋の国に憧れを持っていました。若き日に宋に密航しようとした父、為時の影響もあり、まひろは父が越前守に任ぜられたのを機に、一緒に赴きます。越前には、宋の商人が都との正式な交易を求めて滞在していましたが、内裏は宋を警戒して交易を許可せず、為時に問題を治めるよう指示していました。

周明は日本人だった

まひろは父を支えながら、海で知り合った薬師の周明(松下洸平)に宋語を習い始めます。

しかし、通訳が殺される事件が起き、宋の商人の頭、朱に疑いがかかります。
すると突然周明が男を連れてきて、流ちょうな日本語で「朱が殺したのではない、この男が目撃者だ」と言い始めます。周明はもともと日本人で、海に捨てられたところを宋の船に拾われたのでした。

まひろと周明とのやりとり

周明が日本人だったことを知ったまひろは驚いて問いただします。

周明は対馬の漁師の息子で、口減らしの為に親に捨てられたと言いました。
しかし、いくら周明が利発な子どもだったにしても、当時の漁師の息子が、貴族のまひろと並んで遜色ない青年になるとは思えません。しかも宋で育ったとしたら、宋のことばは堪能でも、日本語でまひろとあのように会話できたとは思えないからです。

「源氏物語 須磨」の帖には、須磨に流転した光源氏が海辺で漁をする人々を見て、「鳥のようにしゃべっていて、何を言っているのかわからない」という感じの描写をしています。
つまり、貴族や都人とは言葉遣いが違うのです。方言やなまりもあるのでしょう。

宋に行く前の周明に貴族の言葉や教養があったとは思えず、宋では宋人になるべくした知識しか得ていないはずなので、周明が始めからスパイのような役割でそれなりの教育を受けてきたならば納得できます。

まひろ、宣孝から求婚される

周明は、まひろが時の左大臣の道長と知り合いだと分かると、朱のために朝廷と宋との交易を勧める手紙をまひろに書かせようとします。「早くまひろと宋に行きたい」などとささやきますが、まひろは周明の真意を見抜き、割った陶器の壺の破片を突き付けられ脅されても、いうことをききませんでした。
さすがまひろ、動揺を隠し、人の内面を見抜く観察眼があってこそ、物語が書けるのですね。

周明と気まずい別れをしてしまったまひろを見ていたのは、幼いころから知っている、おじの藤原宣孝でした。

宣孝は父の親戚で親友ですが、父と違って世にたけた人物です。あくまで友の娘のまひろの賢さに一目置いていましたが、自分の晩年になって、話しているとなお自分に知的な刺激を与えてくれ、気力がわいてくるまひろを妻にしたい、また道長を忘れていないまひろにも自分のような男しかいないと思い始めました。

乙丸に問いかける

まひろは、宣孝や周明とのやりとりから、「自分は何も分かっていないのかもしれない」と感じます。

気鬱になり、食事をあまりとらないまひろを心配して、乙丸が庭先から話しかけます。

「姫様、お食事を召し上がらないと下女に聞きました」という乙丸にまひろは、なぜ乙丸は妻を持たないのかと突然問いかけます。

びっくりした乙丸ですが、まひろの母、ちやはが藤原道兼に殺されてしまった時、自分が何もできなかったこと、せめて姫様だけはお守りしたいと懸命に努めてきたためそれだけで精一杯だったのだと答えます。

まひろは乙丸の忠義や考えに心を打たれ、また、周りの人々にそれぞれの想いがあることを知り、宣孝とのことも前向きに考え始めます。

まとめ:まひろは越前で都では知り得なかったことを経験した

ドラマのような宋人との交流や周明とのことはフィクションですが、都を出たこともなく、海も見たことのなかった紫式部が、人生の厚みを得た貴重な経験がこの越前行きだったことでしょう。

それは後の「源氏物語」にも生かされたことと思います。

この後結婚・出産・夫の死とまひろは、さらなる経験をすることになります。

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