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「光る君へ」で日本の心を学ぼう!ひな祭りはないけど面白い平安時代

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今日は「ひな祭り」平安時代にはなかった女の子の節句

今日はひな祭り。最近は自宅で見事な7段飾りを前に、女の子が集まってお祝いするようなお家も減ってきているでしょう。私はひな人形を買ってもらえず、お友達のうちに見に行っていました。

子ども時代に祝ってもらえなかったので、大人になってから自分で作ったおひなさま(笑)
ハマグリの貝殻に描きました。

ひな祭りは日本の伝統的風習ですが、今の形は江戸時代にできたもの。

平安時代には、お人形を「ひひな」と言いますが、女の子のお祝いとしてはありませんでした。

大河ドラマ「光る君へ」楽しみに観ている人が増えているようです

ひな祭りはなかったけれど、「光る君」の時代を知るのは日本人として大切なこと。

ドラマをきっかけに、日本人の心を学びましょう。書道、和歌、十二単などの装束も興味深いですし、先日の放送の「打毬」は本当にやっていて興奮しました。

前作の「どうする家康」は賛否両論で、主演の松潤もちょっとお気の毒でした。

  1. 徳川家康はドラマになりすぎている。
  2. 肖像画や記録も比較的あることから、一定のイメージがあり、違和感を持った人が多かった。
  3. 脚本家の史実の解釈が大胆過ぎて学者や歴史オタクの反感を買い、視聴者もついていけなかった。
  4. CGが安っぽかった

このような要素があったと思います。

「光る君」は平安時代の貴族社会が舞台で、記録はあるものの、本当はどうだったのか誰も知りません。

平安絵巻はみんな同じ、ふくよかで糸のような目の顔ですし、人物の顔のイメージは
「紫式部は美人ではなかったらしい」
「清少納言は知的だけど意地悪そうな顔に違いない」などのあいまいなものです。

紫式部役の吉高由里子が似ているかどうか誰もわからないですし、吉高さんが好きか嫌いかで見るのを決めている人もいます。私は結構あっていると思います。とても合っていると思うのは清少納言(ファーストサマーウイカ)の方ですし、藤原道長(柄本佑)はちょっと違うかも、と思ってましたが慣れてきました。でもこれもすべて主観です。

大石静の脚本は、史実をある程度しっかりさせつつ、想像のイメージがなかなか細かく計算されています。分かる人には深い伏線がわかり、知らない人でも面白い、この加減が結構絶妙です。

ドラマですからフィクションはあります。散楽の劇団や、まひろの母親が藤原道兼に殺されたこと、紫式部の「まひろ」、清少納言の「ききょう」という名前も当時女性に名前はなかったので、便宜上つけた名前です。

私は、脇役ですが「小右記」の筆者、藤原実資(ロバート秋山)が庭で蹴鞠をしながら、奥様にぐちぐちと人の悪口を言い続け、「日記にでも書きなさいよ!」と怒られるところが好きです。

なるほど、こうやってあの「小右記」は書かれたかもしれないと思いました。

当時は今と違い、紙は大変貴重なもので、紙を用意できる財力がなければ記録も残せません。
また、貴重な紙に書き損じも許されず書く言葉は、よほど考えて書かれなければなりません。

なので、「源氏物語」みたいな長編小説は、紫式部のバックに道長いてこその作品なのです。

これからまひろと道長がどうなるのか。「光る君」は平安時代を知るのには格好の教材。

皆さんも楽しんでくださいね。

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